無になる時間がくれるもの。

あんまり自分の過去の話をすることがないから「子育て」の話をすると結構びっくりされる。
「ちはるさんにもそんなことあったの???」

ありましたとも(苦笑)

ほんとにどーにもならないくらい天を仰いだこともありましたとも。


一人目の育児、わからないことだらけで知らない土地に来て

知り合いもいなくて親もすぐ近くにいなくて

夫は帰りが遅くて、ずっと赤ちゃんとふたりっきり。


毎日が同じことの無限ループ。

時間の感覚も曜日の感覚もなくなっていく。

自分のことなんて構っていられなくなる。

服装も髪型もお化粧も、もともとあんまりしない人がさらにどうでもよくなるという現象が起きる。


二人目が生まれてからは、さらに毎日のことを覚えていない。

ご縁があって就職した後の二足のわらじは想像を絶するもので

思い出すだけでも感覚が麻痺してくる。


わたしは自分がどう毎日を乗り越えていたかも覚えてない。

必死に洗濯して服を乾かして、オムツを替えて、ご飯を作って...たまに一緒に笑って、そんなことだったんだろうって思う。


そんなときにパステルアートと出会う。

デイサービスでレクとしてしようって思ったけど、現実にはならなかった。

忙しさにかまけて、パステルアートも曼荼羅アートもまったく描かなくなった。



自分をおいていくのに慣れてしまうと、すべてどうでもよくなってしまう。

うれしいことも楽しいことも泣きたいことも覚えていたいことも。

なんにも考えられない。自分をおいてけぼり。それすら気がつくことがない。


自分の意識を取り戻すのに仕事が終わって1時間は放心状態になっていた。

何が好きで何が楽しいと感じるのか、その質問が一番苦痛だった。


だって、わからないのだもの。

「自分のことなのに?」好きとか楽しいとか感じるのは普通のことのようで普通ではない。

みんな当たり前のように感じたり思っているかもしれないけど。


「素にもどる」っていう時間や意識をしなければ自分っていうことを忘れてしまう、忙殺されてしまう。

自分を生きる?よくわからないって状態になる。(これはわたし、今でもよくわかってないですでもだからといって自分探しとかする気もないです)


そんな生活をしていたからこそ、「無になる時間」がどれだけ大切かがわかる。

自分の時間をとることが、つい後回しにしてしまうそのことが、できるなら一番に必要だということがわかる。


意識して「無になる時間」必要だよってそれを伝えたくて、それが伝わった時に今のこの仕事の喜びを感じている気がする。