見えないもの 聞こえないもの

昨日は新月、そして金環日食でした。

なんだか不思議な夢を見て、それを調べてみたら結構いい感じの予感です♪

「精神的にも成長して新しい転機を迎える」よしよし、いい感じ♡


ところで、今日は色やカラーセラピーについてわたしが思うことを語りたいと思います(^-^)

別にって方はスルーしてくださいねw

色の勉強をしたことのある人はご存知だと思いますが、私たちが色だと思って見ているのって光であって、その反射している波長によって色の違いを認識しているのですよね。

可視光線(かしこうせん)って言われる、人の目が見ることのできる光の幅ってのがあって...

一番波長の長いのが赤(その外が赤外線ね)、一番波長の短いのが紫(その外が紫外線)って言われてます。(詳しく知りたい方はググってねん♪)


ということは私たちが見えない領域の光を見ることのできる生物だっているわけです。

同じように音でも聞こえる可聴域と若者にしか聞こえない音の波長だったり、ヒト以外の生物が聴くことのできる波長もあったりするわけです。

 
つまり、見えるもの聞こえるものがすべてではないってこと。

見えないものや聞こえないものが、私たちのすぐそばを通り抜けているかもしれないのよね。

いいものにしても悪いものにしても。


でもそれが見える聞こえるっていう人もいると思うのよ。

ほんとかどうかは別として、そこは科学で測定したり数値化して出してみないと信用できないって人もいると思うのだけどさ。

そのへんが曖昧だからなんかうさんくさいって感じられる雰囲気を醸し出してしまう。

それをスピリチュアルとかオカルトとかの枠に入れてしまおうとする。

 
見えないものも聞こえないものも確かに存在するのにねぇ。
 
カラーセラピーはその可視光線の中から自分が選んだ色のキーワードとかを聞くことで、自分の中に「気づき」があって、それを色として意識することでその気づきを思い出すっていうシステム。

潜在意識が選ぶとかって話をしたとたんに「うさんくさい」って思ったりする。

ハイヤーセルフがとかってスピリチュアル系のコトバを使うとさらに「何?あやしくない?宗教的???」みたいに感じたりする。


ただ自分が選んでキーワードの中から「あっ!」って感じるものを意識するだけなのにさ。

色の意味とかって色彩心理としてきちんと理論や根拠があるものなのに。

「当たってる」とか「こんなんじゃない」とかっていう感情も「気づき」のひとつなのに。


その場ですぐに気づくことができなくて、しばらくたってから思い出したりするのも立派な「気づき」だと思うのに。


客観的に自分を見ることのできるツールなのになぁ、もったいないなって思う。

新しい「自分が知らない自分」と出会うことができる(とかってのもあやしいのかなぁ)ってすごくおもしろいと思うんだけどなぁ。


科学的な自己認識ツール...って書くと堅苦しいのかなぁ。(ゆるやかでないとここまで普及しなかった感じはあるよね。)