ええ、忙しいです。9月の忙しさからは落ち着いてきたものの、まだ余波は続いています。でも私、確実に壁を乗り越えたと思ってます(^-^)
それなら自分が合わせた方がいいって思って、嫌われることを回避して生きてきた。
文句を言われたりけんかをしたり...そういうことがとても苦手で。
それならそうなる前に先手を打ったり、後からだと一生懸命言い訳を考えて、とにかく文句を言われないように嫌われないように取り繕って...嫌われたときの痛みに比べたら、自分の言葉や感情を抑えることの方が楽だと思ってた。
今もまだそう思う部分もあることは否めないね。
そこに気がついた時、これではいけないって思ったんだよね。
嫌われても必要なことは伝える、その人がどう受け止めようが言うべきことは言う。
その上で「この人と話したくない」と判断されても仕方ないのだなと思った。
「嫌われてもいい」って思わないと「誰からも好かれる」は一歩間違えると自分をなくしてしまうし、相手のためにもならないんだなと。
人間同士なのだから気の合う合わないはどこにでも出てくるものなのだし。
仕事だろうと保護者同士だろうと親戚だろうと近所同士だろうと。
もちろん円満であることにこしたことはないのだけど、そしてそれに対して努力は必要だと思うのだけど私は必要以上に押え込むところがあって(苦笑)
特にプライドの高い権力のある年上の男の人には弱くて、必要なことが言えないのよね。
これは幼いときからの刷り込みとそれにまつわるいろんなトラウマが大きいんだけどさ。
でもきっと一歩先に足を踏み込めばプライドも権力もない本当の信頼関係ができるのだと感じる。お互い人間なんだもん。
仕事だともっと割り切りやすい。専門家として接しているのだから。
身近な人だとつらいよね。
だけど今は「がんばってもわかり合えない人もいる」ってことも学んでしまったんだ。
そして「嫌われているからこそうまくいく」ことも知ってしまったんだ。
「嫌われる」ことはそんなに苦しいことではない。
そこにはものすごいエネルギーが費やされるし、それならいっそのこと「どうでもいい」にしたいって思う。
「嫌い」なときは「どうにかしたい」って想いがあって、関係性を変えようとがんばる間ものすごい疲れたりする。
「どうでもいい」はその点楽だなー♪興味がないんだもん。
長文最後まで読んでいただきありがとうですm(_ _)m
「そんなこと当たり前だー」と思ってる人もいるかも。オチはここですんません(^^;
今は「誰からも好かれる」よりも私を大切に思ってくれたり愛してくれる人がいてくれたらそれでいいって思うし、ほめられたり認められたりってプラスの感情を受け取っていたいな。
自分のことを認めてくれる人が間違いなくいるんだって思うと強くなれる。
今までもそういう人が周りにいたのだけど意識するのとしないのでは違うね。
ほんとありがたいです、そしてその高い評価を素直に受け取りたいなと思えるようになりました。
これが私自身の受容の過程かも☆
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