自分のことが好きだということ〜2019年春分に想う

「光のタネ2019」が終わって、たくさん記事が書きたいのに心がそこへ向かわない。

Facebookもインスタもちょっと遠ざかりたい...っていう正直な自分の気持ちに従って。


ブログを放置するなんてそんな珍しいことではないから、そこまでびっくりはされていないだろうけど、この1週間程度本当に苦しくて逃げ場のない質問責めを自分の中で繰り返していました。

かなりネガティブなつぶやきになります。

元はといえば「なぜ描くのか?」というまたふりだしに戻るような質問だったのだけど...そこから向き合わされたのは「第2チャクラ」

このオレンジのチャクラ曼荼羅を思い出さずにはいられない、自分の第2チャクラのこと。


自分のことを好きでいいって、生きていていいって、女性でいいって

「光のタネ2019」でね、わたし、たくさんの涙を流したんです。

そこからずっと気になっていたの。

今までわたしはどうやって自分をゆるして、アートを描いてきたんだろう?って。


もうてっきりこの部分をクリアしてると思っていたから、アートを描いてきていたんだって思っていたんです。

でもそれはもしかしてそう思い込んでいただけなんじゃないのかな?と。

じゃあ「いつから自分のこと好きだって思ってる?」って聞いてみたら、あれよあれよとがんじがらめの自分の土台...花が咲けるような状態ではないところに出会ってしまいました。

そもそも「自分」はどこよ?


もう草取りみたいでね、そこから。

自分の花を、自分の花のつぼみを探すようなところからはじまりました。

見つけた自分はいばらの壁の向こう。

自分で張り巡らせた「自分は誰かの代わり」っていう自分を守るためのいばら。


「自分のこと好きだなんて思ったことない」→だから誰かに好かれるわけもない、誰かの代わりになら好きだと言われても、それはわたしの向こう側の誰か。その方が楽。もう傷つきたくない。真正面から好きだと向かってくる人はこわい。


「そもそも自分は好きとか嫌いとかって感情を言っちゃいけない」→それで誰かが傷つくくらいなら自分が傷ついた方がまし。


「すべて受け入れて許していくのがわたし」→何を言われても何をされてもありのままを受けとめて、あとは無限の海に流していけばいい。



こんなことばかりですよ(^^;

よくもまぁ、こんだけきれいな色のオレンジが出せたこと。自分でもびっくり。

このチャクラ曼荼羅を描く時にも、他の6色はすんなり描けたのに、最後の最後まで描けなかったっていうのはよく覚えています。

そのときくらいからちゃんと向き合っていたらよかったのかもしれません。

いや、たぶんもっと前...って言い出すとキリがないのだけど(^^;


一番身近にいる人にさえ話せていない。

手遅れなところへいつの間にかきていたって気がついたときの、どうしようもない矛盾した気持ち。

がっつり向き合わされてつらくて苦しいけど、わたしはいばらの向こうにある自分に出会ってしまった以上はいばらを引っこ抜いていくしかないのです。


「もう大丈夫よ」って

「誰かの代わり」ではないよって

「誰かが傷ついたあとの想いまで引き受けなくていいんだよ」って


そして「無限の海ではないんだよ」って。

その海の浄化作用を過信しすぎていたんだろうな、わたし。

いろんなものを流しすぎちゃったね。


気がついたらあとはそれに対処したり設定を変えていくだけなので、それを今はじゃんじゃんばりばりやっているところです。


今は「自分が好き」です。

そして生きてきてよかった、女性でよかったって、本当に思ってる。


「なぜ描くのか?」に対してもちゃんと答えられるようにまでなりました。

今まででもわたしは、

いろんなものを抱えていても、うまく海に流してきてひどい状態でも、

精一杯コールに対してレスポンスしてきたっていうそれだけのこと。

こちらはまた別記事でゆっくり書きますね。


自分をゆるすということは自分をみつけることだったのかもしれません。

いばらの中にいた自分。こわがっていた自分。

天王星が牡牛座に入って、春分とてんびん座満月の重なる昨日までのこの数日間。

逃げずに(逃げようとしても強制的に戻される)草取りしていばらをかきわけた自分を、とりあえず褒めてあげようと思います。


現実が動くのもこれから。かなり向き合ったので変化します。

お花畑しか思い描く未来はないのだもの。すべて最高最善に♪