子育てに向いてる?向いてない?

子育てとか育児とか名前はいろいろあるけど、それって単なる定義なだけだなぁって思う。
「早く長く寝てくれるようになったら...」

「1人でトイレに行ったり、着替えができるようになったら...」


重い荷物を抱えて出かけていた頃、かばんの中にはいろんな必需品が入っていた。

どんどん荷物は必要なくなって、ようやくちいさなかばんでも移動できるようになった。

それでもやっぱり肩がけのかばんで、子どもたちと手をつなげるように、何かあっても走れるようにって思ってる。


週2回のゴミ出しは袋がパンパンで、子どもたちがテレビに見とれている隙に走ってゴミ収集場へ持っていって急いで帰ってきていた。

危険だと思うものは手の届かない高いところに置いて、階段は1人では行けないように柵をして、極力2階へ行かずにすむように生活していた。

洗濯物は室内で子どもたちの目が届く範囲で干すようにしていた。


今までもいろんな場面で「楽になりたい」って求めてきた。

時間が経つにつれて、どんどん自分でできるようになって、寝るのも早くてぐっすり寝てくれるようになって、自分たちであそんだり片付けたり、時には「ママありがとう♡」といたわってくれる。


「楽になる」ってなに?

自分の役割が減ること???

子育てに自分は向いているか?って聞かれると「向いてないかもしれない」って答える。

もっともっと子どもとの生活を楽しんでいる人たちは世の中にたくさんいる。

子どもをきちんと導いて成長させている人たちはたくさんいる。


子どもを育てている感じはあまりなくて、それが見かけにも出ていて、「子どもがいるように見えない」ってよく言われる。


どちらかというと家族として一緒に育っているっていうのもそうだし、一緒に生きてるってのがしっくりきていて、圧倒的にわたしが家でしている役割は多いかもしれないけどそれは期間限定なことなのかなぁって思う。

そのうちゴミを出したり掃除をしたり、子どもたちの役割になる日がくるかもしれない。


子育てに向いてなくても、ただ一緒に生きていきたいって思っていたら、失敗したとかこうすればよかったとかうまくいったとか、そういう評価ってないのかもしれない。


特別なことはできないかもしれない。

でも毎日一緒に生きてるって、当たり前みたいなことを日々繰り返す。

わたしの役割はその中で少しずつ増えたり減ったりするだけ。

いつか「母親」の役割が終わる日がくるまで。